2009年05月02日

直江兼続の弟が相続し城主となった城

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花の群生に出会った
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きつい登り道を癒してくれる花(頑張れと声を掛けられたようだ)
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この地域は黄色いすみれが多い
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小千谷市内が一望出来る
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所在地:小千谷市大字時水字城。
小千谷市と刈羽郡小国町との境界に位置する。

 『上杉史料集』によると遠見衆・走廻衆・押領司等の休息番所であった。
 伝承では、上杉家の家臣曽根氏が居城し、天正(1573〜1591))の頃または天文21年(1551)に城主曽根五郎左衛門某が上杉謙信に反抗したため平子(大楽)氏に攻められ落城したという。
 城の鬼門(北東)には、中世の名主から近世を通じ代々庄屋を務めた小野坂家に所蔵されている古絵図からは、城ノ入、関屋敷など城に関する地名を見ることができる。現在集落名と字に北屋敷が地名として残る。

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遠方に見えるのが小国城址 小国森林公園の敷地内に有るのですが道が整備されていなく 行くのを中止した
永禄五年(1562)、上田長尾氏の家臣樋口兼豊の次男として生まれた与七(直江兼続の弟)は、天正十年(1582)に小国城主小国重頼の養子となり家督を相続。景勝の命により姓を大国と改めて大国実頼と名乗りました。実頼は同十四年八月の新発田重家討伐に参陣、豊臣秀吉の聚楽第新築の際には、上杉家の使者を勤めています。慶長三年(1598)の上杉氏の会津移封に従い、南会津の南山城主となりました。同六年には山形の高畑城主となり七千石を知行しました。
 小国城があったとされる一帯は現在長岡市おぐに森林公園となっています。小国城は標高251メートルの小城山に築かれ、平時の館は小国沢川対岸の真福寺であったと伝えられています。
長岡市観光課 0258-39-2221
長岡市おぐに森林公園 0258-95-2576 HPより

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小国城は小国氏の本城でしたが、小千谷市との国境にある 時水城へ戦
国期に移ったと思われます。この時水城はとても規模の大きい山城で小千谷市では薭生城ともに二つの指に入ります。

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遠方に八石山
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マムシソウとイカリソウが咲いていました
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小国森林公園
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キャンプ用調理場
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子供連れで賑わう
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出来たばかりの吊り橋(定員15名と少ないから注意)

posted by mori at 07:44| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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