2009年03月18日

市野新田 棚田に春が来た

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一ヶ月来なかったら雪が無くなっていました

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フキノトウが まだ、こんなに小さい

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市野新田にやっと、春が来たようです

posted by mori at 18:48| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石油産業発祥地 出雲崎

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出雲崎町は古代から石油が発見されています。最初に文献に記載されているのは、天智天皇が即位された668年に越の国から「燃ゆる水」と「燃ゆる土」が献上されたと『日本書紀』に記されており、その献上地については『日本石油史』(昭和33年刊)には、大字吉水草生水ほか2ヶ所があげられています。明治23年(1890)12月日本石油鰍ェ米国の綱掘機械購入して海岸の福田泉と名づけられていた手掘井の上に設置して、掘削をしたところ翌24年(1891)4月噴油を伴い、成功をおさめました。石油界、学界、官界ではこの成功井跡を石油産業発祥地(世界初の海底油田掘削地)として顕彰し、記念公園を整備しました。昭和41年(1966)3月新潟県の文化財に指定され、同年8月ペンシルベニア州タイタスビル市にあるドレイク井記念公園と姉妹公園の提携をしました。現在の公園は平成18年に整備されたものです。
宝田石油会社(後に日本石油鰍ニ合併)が掘削した「綱掘式削井機の2号井」で明治30年5月23日から昭和60年12月1日まで使用されて、抗内の深さは649.45mで、付近にはC-9号(T7.5.23採油開始)C-10号(T8.8.10採油開始)がありました。この削井機は明治23年に尼瀬の日本石油鰍ェ米国から最初に輸入(C-1号)した機種と同型で、それまで手掘りによる浅層採油だけに頼っていました。掘削方法は、蒸気機関を動力とするウオーキングビームの上下運動により、ロープに吊るされたビットが坑底を衝撃して掘り進むもので、これを契機に石油業の近代化が始まりました。尼瀬油田の最盛期は、明治22年〜31年の10年間で手掘り井戸も含めて多くの井戸があり、明治27年では日産16,910Lでした。しかし昭和26年には日産44L、昭和60年には日産9Lとなっていきました。一方天然ガスは日産3,000Lu噴出していました。なお、現在のC-2号は廃坑作業後に昭和62年施設保存のために、同じ場所で地下部を密閉し、井戸芯を9m残した状態で櫓とポンピングパワーを復元したものです。

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道の駅にも指定されている出雲崎町の観光拠点。江戸時代、天領の里(幕府直轄地)であった出雲崎の当時の様子を再現した「天領出雲崎時代館」。中には様々な仕掛けがあり楽しめるほか、紙風船作りや凧作り体験もできる(有料)。また、平成17年4月に時代館に併設オープンした「出雲崎石油記念館」では、日本で石油掘削に機械方式を用い、最初に成功をおさめた出雲崎の当時の石油産業がよくわかる。料金は時代館入館料に含まれている。ほか、敷地内には出雲崎の特産品・お土産品を集めた「観光物産センター」、日本海の海の幸が堪能でき、眺めも抜群の「食事・喫茶処 陣や」がある。公園も整備されているほか、観光ブリッジ「夕凪の橋」があり、この橋は通称「恋人橋」とも呼ばれ、恋人達がこの橋に鍵をかけることで恋愛が成就すると言われている。
posted by mori at 00:24| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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